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令和元年度プラチナ世代のチャレンジセミナー

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年3月25日更新

第1回 1月11日(土曜日) 1.健康づくりにチャレンジ
地域で取り組む認知症の予防と理解ある環境づくり        講師:愛媛大学大学院 医学系研究科 教授 谷向知先生

 初回は、年齢を重ねることで気になる認知症の予防や、認知症になった場合の環境づくりについてお話を伺いました。
 認知症は歳を取るごとに発症する割合が徐々に増え、90歳を超えると半数以上の方が発症する可能性があります。さらに若年性アルツハイマーに代表される若年性認知症も増えており、45歳~64歳の間でも約1,000人に1人の割合で認知症を発症しています。
 主な症状として物忘れが挙げられますが、会場に来たことがあるか、どのように来たかなど自身が体験したことを忘れてしまうことが認知症を疑うサインとのことでした。さらに、計画を立てて効率的に物事を進める実行(遂行)機能が低下しているかどうかも重要なサインとされています。
 また、発症に影響のあるリスクのうち、肥満や高血圧などの危険因子を全て取り除いたとしても、65%程度はリスクが残るとのことでした。認知症の発症を遅らせる、または、発症したとしても進行を緩やかにするように過ごすことなど、認知症の正しい知識や理解を身に付ける備えが重要だ、と谷向さんは述べられました。
 もし家族が認知症になった場合には、本人の尊厳や希望を大切にし、病気と折り合いをつけながら生活することが大切だと学びました。また、本人と家族だけではなく、地域での支援や医療・公的サービスでの支援も必要で、地域全体で共により良く生きていくという地域包括ケアの考え方が重要とのことでした。
 最後に、認知症予防としてよく耳にする生き甲斐について伺いました。アメリカでの研究によると、生きる目的を持っている人は、そうでない人と比べて認知症の発症リスクが0.48倍になり、認知症になったとしても生きる目的や役割を持つことで進行を遅らせることが出来るとのことでした。愛媛県内の認知症高齢者向けグループホームの入居者でつくるボランティアグループを取り上げ、役割を持つことで認知症であっても笑顔で過ごすことができていることを紹介いただきました。
 講座を通して、認知症に対して不安を感じていた受講生も前向きになれたようです。

受講生の声

 ◆「認知症をおそれない」ということが納得できました。何か自分ができることを始めたいと思います。

 ◆身近に感じている認知症、谷向先生のやわらかい語り口で楽しく勉強できました。

第2回 1月18日(土曜日) 2.時事問題にチャレンジ
どこで誰と住みますか?高齢期の住まい方          講師:聖カタリナ大学 人間健康福祉学部 教授 秋山昌江さん

 第2回は自身のライフスタイルや家族の介護など老後における様々な場面から考える、これからの住まい方について取り上げました。
 人生100年時代に突入し、4人に1人が高齢者の時代となりました。愛媛県では、10万人あたりの100歳以上の人口割合が2018年には全国で8位となるなど、全国の中でも高齢化が目立っています。
 年齢を重ねると、段差で躓きやすくなったり、断熱が不十分でヒートショックの危険性が高まったりするなど住まいの不具合が起こりやすくなります。さらには地域全体が高齢化することで、交通手段や近隣の店舗の減少が起こって、消極的な生活になってしまうことでうつや認知症になるなど健康寿命を左右するほど住まいの環境は重要です。
 私たちが老後の住まいについて選択するタイミングは2度あります。1回目は定年し第2の人生を考える時期に自身のこれからのライフスタイルに合わせた住まいを選びます。2回目は自身や家族に健康面の不安があった時に考えます。周辺の環境や経済状態などはそれぞれ違いますが、住まい方を考える際には「どこで」「どのように」「誰と」暮らすかをポイントに考えることが重要とのことでした。
 住み慣れた家で最後まで暮らす場合には、転倒や転落などの家庭内事故や突然の病気による介護に備えた住まいを考える必要があります。また、自宅から住み替える場合には高齢者住宅へ移るという選択もあります。親のために施設探しをする人は多いですが、自身が納得して暮らすためには元気なうちから自分で考えて選ぶことが特に重要とのことでした。自宅で暮らせなくなった場合の介護付き施設など主な高齢者住宅・施設の種類や特徴などもご紹介いただきました。
 最後に秋山さんは住み替え後のリスクに備えた住まい方を考えることについて述べられ、「配偶者や子ども達と早いうちから話し合うことや終活ノートを書いて残しておくことが大切です。自分はこうしたいと話しておくと良いと思います。」と締めくくられました。様々な住まい方の選択肢があり、自分に合ったより良い住まいについて考えるきっかけとなったようです。

受講生の声

 ◆講義を伺い、生き方について考えていきたいと思いました。早くから知識を少しずつ、と思います。

 ◆現実問題に即した丁寧な説明で良く分かり、今後の問題解決の参考になると思いました。

第3回  2月1日(土曜日) 3.教養アップにチャレンジ
持統女帝、ライバルは額田王       講師:松山市立子規記念博物館 館長 竹田美喜さん

 最終回は、「令和」という新しい元号の出典となった万葉集から、女帝である持統天皇と額田王の関係を取り上げました。
 額田王は大海人皇子(後の天武天皇)の最初の妻と言われていますが、その後は大海人皇子の兄である天智天皇の妃となっています。鸕野讃良皇女(後の持統天皇)は天智天皇の次女で、他の姉妹と共に大海人皇子の妃となりました。天智天皇亡き後に大海人皇子が起こした壬申の乱を経て、大海人皇子が天武天皇となった後は天皇を政務の面でも補佐していたようです。
 持統天皇は額田王より14歳年下ですが、天智天皇と弟の大海人皇子、二人の天皇をめぐって互いに意識し合う関係にあったと思われます。遊猟に出た際、大海人皇子と額田王は天智天皇から歌を詠むように言われ、額田王は、男性から恋の歌を詠み女性が断る歌を詠むという当時の常識を外れて、先に断る歌を詠むことで、先夫である大海人皇子と額田王の仲を疑った天智天皇の疑惑を晴らし、結果として大海人皇子を守りました。竹田さんは、機転が利き、歌人としても名高い額田王に鸕野讃良皇女は恐らく嫉妬しただろうと解説されました。
 また、壬申の乱後に額田王が生きるために天武天皇の元へと戻ってきたことは、敵対する勢力として額田王を打ち取ることができると思っていた鸕野讃良皇女にとって、かなりの衝撃だったはずだと述べられました。
 額田王が天武天皇の元へと戻ってきたのは、娘の十市皇女が32歳という若さで亡くなり、持統天皇に殺されてしまう恐れがある孫の葛野王を守ることに徹するためだったと思われます。持統天皇も息子の草壁皇子が28歳で亡くなっており、その際には宮廷歌人の柿本人麻呂に挽歌を作らせ、息子を亡くした母の悲しみや後継者がいなくなり途方に暮れている様を表していました。
 子どもを亡くしても立ち直り、逞しく生きた2人が互いの存在を意識しながら共存していく賢さなど、万葉の女性達の生き方を学び、令和時代を強く生きていくための指針となった受講生も多かったようです。

受講生の声

 ◆表から裏の事情まで読み解かれた説明に、これまで何気なく読んでいた歌の真の意味、背景がよく理解できました。

 ◆持統天皇と額田王の関係など色々知ることができて大変興味深く学ぶことができました。

 

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